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老いへの対応と介護の仕事

介護で尊厳は保たれているのか ?

 

介護とは、そして意味とは。

 

身体的な不自由を介護で補ってあげるだけではなくて

 

不自由になったことで失いかけている『尊厳』をも

 

取戻してあげる事であり、失わせない事だとも言われますが、

 

介護の意味が別の方向に一人歩きしているようで・・・

 

だとすると、今の介護で『尊厳』は保てないですから

 

意味が無いことになります。

 

 


介護で利用者さんから『尊厳』を感じられない大きな原因は

 

介護の意味をはき違えて捉えていたら

 

『尊厳』なんて取り戻せません。

 

 

利用者さんと接していると、耳にする言葉がいくつかあります。

 

「何にもわからなくなっちゃった」

 

「どうしてこうなっちゃったんでしょう」

 

「若い時は歩けたのにねー」

 

「私にはもう、何もできません」

 

 

 

本人にはわかっているんですね、

 

自分が以前の自分ではなくなっていることを。

 

 

 

病院などの医療機関の仕事は、

 

病気や怪我を治療することです。

 

 

例えば

 

年老いて癌になり、そのがんを治療するために入院する。

 

病院は癌を治すのがその存在目的ですから、

 

「まぁ、寝てなさい」 となって、薬や放射線治療、手術になります。

 

大抵は、入院してる間に『寝たきりの人』 になりがちです。

 

 

まずは癌が治るか、進行が遅くなればいいのですから。

 

 

 

介護施設は、

 

多くの場合、『日常生活が出来るような支援』 を目的としています。

 

 

 

医療と介護
||    ||
身体と 心

 

こんな感じなのでしょうか ?

 

 

 

心のケアは介護施設の役割なのですね。

 

まさに介護の意味とは、身体的な介護もさることながら

 

心に対する介護の方がより重要になって来てます。

 

 

 

最後まで誇りを持っていただく。

 

最後まで尊厳を維持していただく。

 

 

 

では、施設に入って 『食事』 『排泄』 『入浴』・・・

 

何事をも人に頼らなくては出来ないとすると、どうでしょうか?

 

手を貸してもらうことで

 

余計に自分がみじめにならないでしょうか ?

 

 

介護施設で行っている介助行為は

 

その人から『誇り』 を奪い取ることになりはしないか ?

 

 

 

心のケアをしなければならないのに

 

一生懸命やっている介助の仕事で

 

その人から 『誇り』 を奪っている。

 

 

 

でも、介助しなければ 人としての日常生活がおぼつかない。

 

やるべき事と出来ることが食い違ってくるんです。

 

 

 

『介助をしながらも、尊厳を維持していただく』

 

『介助をされながらも、誇りを取り戻す』

 

 

現状はそれは介護施設の仕事です。

 

残念ながら、今の病院では難しいようです。

 

今の医学ではどうにもならないからです。

 

認知症で狂暴になる事を薬で抑えるくらいです。

 

 

 

話しかけて話を聞いてあげて、正面から目を見て

 

斜に構えるのではなく、正面から向き合う。

 

話しかけるにしても、

 

配膳するにしても、

 

足の爪に水虫の薬を塗るにしても、

 

 

真心こめるしかありません。

 

人生経験の長い利用者さん

 

認知症の人は特に

 

感ずる世界は敏感です。

 

 

「何を話したか ? 」 は分らなくても

 

「どう話したか ? 」 は感ずるんです。

 

 

決して

 

『面倒くさい』 とか

 

『手のかかる老人だ』 とか

 

『こんな事も出来ないんだ』 とか

 

『汚いなぁ』 とか

 

『臭いなぁ』 とか

 

そんなこと思っていたら、一瞬でバレてしまいます。

 

『尊厳の維持や誇り』 なんてものではなく、

 

一気に 「私はダメな人間なんだ」 と

 

自分自身を更なる暗がりへ突き落してしまうでしょう。

 

 

 

介護施設が『尊厳』のためにやれる事とできる事

 

介助をしながら

 

誇りを取り戻してもらい

 

尊厳を保持した生活を営んでもらう

 

そのためには

 

スタッフにこそ心のゆとりが必要となります。

 

そのためには、人数にもゆとりが必要です。

 

 

 

ですが、

 

残念ながら今の介護施設は慢性的に人手不足です。

 

つまり、スタッフ自体に余裕がないのです。

 

 

食事と排泄と入浴の介助をするだけで

 

アップアップなんですね。

 

 

理想は分っていても

 

現実には細かく向き合う時間も与えられていない。

 

『やるべき事』 は分っていても『出来る事』 は限られ過ぎています。

 

 

心の世界までしっかりと向き合えていないのが

 

大方の施設の現状です。

 

 

介護の仕事はこれからますます人手が必要になります。

 

誰もがやれるとは思いませんが、

 

「やってみようかな」 と思ってもらえるようには

 

待遇を改善していくことも急務かと感じています。

 

 

 

入浴や排泄、食事の介助で汚れがちです

 

人間の生活をケアする仕事なので、夜勤もあります

 

結構体力も使います

 

忍耐する心も必要です

 

でも、でも給料は安いです

 

 

これでは人は集まりません。

 

高給でなくてもいいので世間並の水準には追い付かないと

 

嫌われてしまうのは当たり前です。

 

休みを多くする とか

 

介護のための教育の場をたくさん設けるとか

 

誰でも分かり易い待遇改善が必要です。


介護の世界では、明日は我が身

 

誰にだって頑張った時代があるはずです。

 

誰にだって自慢したい成功があるはずです。

 

誰にだってどれだけ苦労してきたか、分って欲しいはずです。

 

 

 

戦中戦後の食べ物も何もない時代を生き抜き

 

自分みたいなヒモジイ思いだけは子供にさせたくないと

 

ひたすら頑張って、高度経済成長を支えた人たちです。

 

 

 

自分の子も、よその子も、等しく扱ってくれた世代です。

 

苦労した分だけ、知恵の塊です。

 

神仏を尊び、先祖を敬う心を当たり前に持っている世代です。

 

 

 

そんな誇らしく生きてきた結果が、

 

排泄すら 『他人の力に頼る』 という現実。

 

トイレに行きたくても一人では行くことのできない虚しさ。

 

忙しく動き回っているスタッフに

 

労わりの言葉をかけてあげたくても、

 

言いたい言葉が出てこない悲しさ。

 

必死にしゃべったつもりでも、

 

相手に通じていないことがわかった時の絶望感。

 

 

 

時々息子さんや娘さんが面会に来られます。

 

立派に子育てを終えたくらいの年齢になった

 

息子さんや娘さんです。

 

 

 

その方々を立派に育て上げたのは、

 

ここにおられる利用者さんその人なんです。

 

もっと誇りたいでしょう、

 

もっと認めてもらいたいでしょう、

 

もっと自慢したいでしょう、

 

 

 

でも、今の自分は・・・

 

『誇り』 なんて、消し飛んでしまってます。

 

 

 

軽度の認知症であれば、

 

その無力感や絶望感は、一般健常者と同じくらい感じる事でしょう。

 

 

 

だから、そんな時に出る言葉

 

「どうしてこんなになっちゃったんでしょう」 には、

 

もの凄く悲しい思いが込められているんですね。

 

『私』 が 私で無くなっていくことの恐怖と悲しさです。

 

 

そして、それは 明日の私でもあるんです。

 

それを現状の施設で取り戻してあげられるかってことなんですね。

 

 

そもそも、介護職員に対する教育課程で

 

理想論ばかりを訴えることに無理があるのですが。

 

 

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